戸隠神社について

寺から神社へ、明治の戸隠

 慶応4年、明治維新の神仏分離令の発令によって、戸隠一山も「戸隠山顕光寺」から「戸隠神社」への転換を迫られます。
神領に関しては最終的に政府に没収され、寺から神社への移行は更に極端な「廃仏毀釈」の風潮を生み出しました。全国各地の社寺の例に漏れず、戸隠山の仏宝も、追放・排除の道をたどり姿を消していきました。
それらは、別の寺で大切に安置されている一方、破壊されたり、燃やされたり、埋められたりと、政府の政策の影響を多大に蒙った物もあるようです。
しかしながら先人達は、その様な窮地の中で神社への転換を選択し、九頭龍大権現は岩戸守大神としての九頭龍大神となり三院は現在の奥社・中社・宝光社と称するようになったのです。