戸隠神社について

かまど池の話

 昔々、戸隠に多くの院坊があった頃の話です。その頃の信者は、戸隠権現に詣でて祈願を済ませた後、各院坊に一泊して帰路につくというのが一般的でした。
中院にある坊、能海坊の住職はひとつの心配事をかかえていました。山開きも終わり、信者達が参詣に訪れる時期がやってきたからです。
住職他、坊の人たちは信者を迎え入れるべく一生懸命働いておりましたが、時には一度に大勢の信者が訪れると、坊の膳や茶碗の調度品が足らなくなる事態がたびたび発生していました。住職は、いつもこれが心配で心配でなりませんでした。

一日のお勤めを終えた住職は、「明日は、大勢の信者がおいでになるようじゃ、どれ、そろそろ休むとするか」とひとりごとを言って床に入りました。住職が床に入ってどれくらいの時間が経ったでしょうか・・・。枕元で住職を呼ぶ、か細い女性の声がします。
「もしもし、能海坊どの、能海坊どの・・・」住職は、ゆめうつつにその声を聞いたような気がして目が覚めかけましたが、再び眠りにおちてゆきました。しばらくして、奇麗なお姫様が住職の枕元にどこからともなく、現れました。「能海坊どの、わらわは、裏手にあるかまど池に住む『さらかし姫』と申す者です。あなたは、戸隠権現のために日夜一生懸命働いておられます。今晩は、あなたの日ごろの行いを愛でて、あなたがいつも気にかけている調度品の数々を整えて進ぜましょう。ついては不足している品々を紙に記して池に沈めてください」夢にしてはあまりの出来事に、住職はガバッと起き上がり周囲を見回しましたが、姫の姿はおろかいつもと変わらない部屋の様相があるだけでした。

やがて鶏が鳴き始め、夜が白々と明けてきました。住職は、昨夜の姫のお告げを信じ、紙に皿二十枚、お膳十膳と記し、小石を包んで人目につかぬよう注意しながら裏手の池に沈めました。しばらくして、住職が再び池を訪れてみますと、なんということでしょう!紙に記した通りの美しい調度品の数々が池のほとりに積まれていました。こうして、さらかし姫のお告げは真実となって現れました。この時以来、多くの信者が訪れるときは池から調度品を借りるようになりました。もちろん、借りた調度品は洗い清めて池のほとりに置いておけば、いつのまにか消えてしまっているのでした。
こうして、かまど池のさらかし姫の話はあっという間にひろがり、能海坊はもとより近隣の坊までが毎日のように調度品を借りるようになっていきました。ところがある日、近くの坊が、忙しさもあったのでしょうか、池から借りた皿を落として割ってしまいました。慌てたのは、その坊の主です。しかし、割れてしまった皿はどうしようもありません。主は、割れた皿を池のほとりに置き、逃げ帰るように帰ってきてしまいました。
あくる日、能海坊では多くの信者が来る事となっていたので、いつものように住職が皿を借りようと、紙に必要数を書いて池に沈めました。しばらくして、また池にやってくると、どうしたことか、今日は調度品が用意されていません。「これはどうしたことじゃ、姫、いかがされましたか?」住職は一心不乱にお祈りをしましたが、ついに池からは何も出てきませんでした。
その夜も更けて、住職は床に就きましたがなかなか眠れません。いく時かたってやっとうとうとし始めた頃、枕元にさらかし姫が現れました。
「能海坊どのよ、よくお聞きくだされ。先夜、あるひとが一枚の皿を割ってしまいました。これは、事故であり何の大事でもありませぬ。しかし皿を割った事を何故、過ちを認めて堂々と許しを請いに来ないのでしょうか。自己の過ちを隠してこそこそと逃げる人間の姿ほど醜いものはありませぬ。わらわは嘘と偽りの悪魔が住む人の力にはなりたくありません。能海坊どの、さらばじゃ」こうして、姫の姿は闇のかなたに消え去ってしまいました。このかまど池は今でも、旧能海坊の屋敷の裏にあり、今も昔と変わらず水を湛えています。

※現在かまど池は一般公開しておりませんので、お問い合わせ等は御遠慮ください。

長野県長野市戸隠中社3506番地
戸隠神社中社社務所
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