祈祷御神籤きとうおみくじ

「おみくじの歴史」

戸隠の【おみくじ】の起源をたどると、平安時代に円仁(慈覚大師)が唐から比叡山に持ち帰ったものにさかのぼります。それらを元に、良源(元三大師・慈恵大師)は、観音菩薩に祈念して、現在お寺でひかれているおみくじに改めました。一番から百番のおみくじそれぞれに書かれている五言四句の漢詩(籤詩)の意味で吉凶が決められています。
良源は十世紀に活躍した高僧、天台宗の総本山である比叡山中興の祖で、恵心僧都など多くの名僧を育てたことでも知られています。御命日が正月三日であるため、一般には元三大師(がんざんだいし)の名で知られます。また、霊験談や説話類も多く、自らが鏡に映った姿を写したとされる角大師、悪魔降伏を期待する降魔大師などとして庶民の篤い信仰を集めてきました。
元三大師が如意輪観音の化身であるとの言い伝えがあることから「観音籤(かんのんせん)」の名で親しまれ、主に天台系のお寺で広まりました。

「戸隠とおみくじ」

おみくじが大衆に浸透していくのは江戸時代に入ってからのこと。東京上野の寛永寺を創始した天海僧正の夢に、日ごろ帰依する元三大師が現れ「信州戸隠山にある観音籤で、信心して占えば、人の願いに応じて吉凶、禍福を知らしめるであろう」とのお告げがありました。早速、天海は戸隠のおみくじを取り寄せ、経をとなえ、ゆすりながら筒の口から出た籤で占ってみると、将来のことが手に取るように明らかだった、との逸話が残されています。この観音籤の広まりとおみくじの解説本の登場により、庶民も病気、待ち人、縁談、引越し、商いなどを占うことができるようになりました。
戸隠神社は明治維新まで戸隠山顕光寺という天台宗のお寺でした。天海僧正の夢の逸話から、すでに江戸時代初頭には戸隠に御神籤〈おみくじ〉があったことがうかがわれます。
明治維新の変革を経て、戸隠神社では仏教色の強い観音籤を改める試みがなされました。やがて神話に即した現在のおみくじとなり、神々の物語に基づく和歌を柱として、吉凶をはじめ和歌の解釈、信心すべき神様、方位、待ち人、旅立ち、家造り、引越し、縁談、商い、失せ物、訴訟事、生死などについて戸隠の大神様より示されます。
神職が祝詞(のりと)の中で、参拝者からお聞きした年齢(数え年)と男女の別を戸隠の大神様に告げ、吉凶をお尋ねしています。この独特のおみくじの引き方は〈経をとなえ、ゆすりながら筒の口から出た籤で占う〉というお寺の時代を彷彿とさせます。

奥社・中社・宝光社の各授与所でお引きしています。
初穂料 300円

おみくじはお持ち帰りの上、引いた日から一年間の生活の指標としてたまに読み返しご自宅で大切にお持ちください。