奥社 |
奥社入り口 鳥居 | |
いよいよ奥社です。 鳥居前の川を逆川(さかさがわ)といい、中社とは逆の方向に流れ、鳥居川の源流となって千曲川に注ぎます。 川を覗くと岩魚の姿をよく見かけます。 この大鳥居から参道を歩くこと約2キロで御本社です。最後の登りがきついかも知れませんが、ほぼ平です。 |
一龕龍王(いっかんりゅうおうし)祠 | |
奥社鳥居をくぐって、すぐ左にあるのが一龕龍王の祠です。 干ばつの時に黒姫山の登山道の脇にある種池の水を汲んで雨乞いをすると、その里には必ず雨が降るという信仰があり、その池の主「一龕龍王」を戸隠神社のここでお祀りしています。現在も6月の巳の日の種池祭には、この祠と念仏池と種池とで神主が祝詞をあげ御祭をしています。 |
高妻山神鏡碑 | |
戸隠連峰の最高峰、2353mの高妻山附近には、昔、修験者の登山道である大澤通りが通っていました。随神門の少し手前、参道右脇に建つ高妻山神鏡碑は、大澤通りへの入口といわれているところです。 高妻山に入峯して、高さ二メートル、直径六三センチ、重さ四十キロもある青銅の神鏡を安置した仏心という修行者が、慶応元年(1865)に草木を刈って道を作る「大澤通苅分」を成し遂げた時の記念碑です。 碑面には、 高妻山神鏡 大澤講々長武津信 大澤通苅分 とあります。 |
随神門 (随身門) | |
神仏習合時代には仁王門であり、かつては仁王像が祀られていました。今は左右に随神さまを備えた随神門となり、神域に邪気・邪悪なものが入るのを防いでいます。なお一般には随身門といいます。 宝永七年(1710)の建立で、三間一戸の入母屋造り、正面の柱は四本だが後ろに八本の控柱がある八脚門で、屋根は茅葺きです。 戸隠神社の中で最も古い建造物と云われています。 |
旧院坊跡 | |
随神門の先、参道左側に石垣が続いています。明治まで続いた奧院(本院)の院坊屋敷の跡です。 明治以降は神仏分離で奥社境内の院坊は消え、人々は厳しい冬を避けていた中院や宝光院の里坊に移りました。 礎石や囲炉裏の跡、通貨や土師器が発掘されています。 |
杉並木 | |
随神門を過ぎると樹齢400年以上の杉並木が続きます。両側に80本ずつあると言われ荘厳な雰囲気を醸し出しています。 慶長17年(1612)に千石を拝領した戸隠神社は、奥社参道に植樹して杉並木を作り、一山の威容を整えました。 参道両側それぞれ100mにわたる周囲の森林(約51ヘクタール)は、社叢として伐採を禁じられており、昭和48年3月、長野県天然記念物に指定されました。 |
大乗妙典一字一石書写碑 | |
観音堂跡・宝篋印塔入口の反対側に、大乗妙典一字一石書写碑があります。「大乗妙典」とは法華経のことです。 「一字一石」とは経文を墨または朱で一字ずつ小石一個に書いたもので、これを地中に埋めたという碑です。寛延4年(1751)のものです。 本来は末法思想に基づいて弥勒菩薩が現れるまでの間、経文を保存するためのものですが、後に極楽往生や現世利益などが目的になり、さらに追善や逆修のために作られるようになりました。 |
法華多宝塔 | |
宝永2年(1705)に建てられた法華多宝塔です。 多宝塔はお釈迦様が法華経を説いている時に、地中から飛び出したという巨大な七宝の塔に由来し、中に多宝如来がいらっしゃってお釈迦様を褒め称えたと言うことです。 この塔は六面で、多宝如来がお釈迦様に呼び掛けたという言葉 善哉 善哉 釈迦牟尼 世尊能以 平等大慧 教菩薩法 佛所護念 妙法華経 為大衆説 が刻まれています。 |
小百合杉 | |
戸隠神社の中でも一番人気なのが杉並木です。ここの杉の皮は、多くが右側によじれています。地球の自転の影響だという説もありますが、詳しいことは分かっていません。 そして吉永小百合さんがこの杉並木を訪れるJR東日本のテレビCMで戸隠ブームに火が付きました。CMで吉永小百合さんが入っていた杉の洞には、多くの人が入って写真撮影。今では入って杉を傷つけないよう注連縄(しめなわ)が張られています。 |
法燈国師母公祈願観音堂跡と宝篋印塔 | |
法燈国師母公祈願観音堂跡・宝篋印塔(ほうきょういんとう)の入口案内の標柱を左へ200メートルほど入ります。 法燈国師は臨済宗の僧で現・松本市の生まれ、紀州吉良の西方寺(現:興国寺)を開山しました。金山寺味噌をもたらし尺八を好んだ虚無僧の元祖ともいわれています。 法燈国師の母がここで観音様に祈願して身ごもったといわれ、供養のために昭和九年不言会が宝篋印塔を建立しました。その他の仏塔などもここに集められていてパワースポットめいています。 |
講堂跡 | |
参道右の講堂川の橋を渡ると間口24.3m 奥行き13.5mの中に礎石が60個ほど並んでいます。承徳2年(1098)に造られたという講堂跡で、古くから戸隠が寺として整備されていたことを思わせます。 順次立て増しもされていたようで、平安時代後期の土器や11世紀の中国の北宋の古銭も多数が跡地から見つかっています。 |
飯綱社 | |
奥社手前、坂道の途中、左側に飯綱大明神の飯綱社があります。 飯綱大権現ともいわれ、戸隠山と並ぶ飯縄山の、神仏習合の神ですが、古来戸隠山の鎮守としてここに祀られています。 飯綱権現は日本第三の天狗とも言われ、信仰すれば不思議な術を授かったといいます。不動尊、カルラ、荼吉尼天(だきにてん)、宇賀神(うがじん)などの合体した特異な像容で、中社の宝物館で見ることが出来ます。 |
狛犬 | ||
現在は無角の獅子と有角の狛犬のどちらも狛犬といい、さらに左右に獅子を据える寺社が多いので、獅子が狛犬と呼ばれる傾向がありますが、本社前のこれは有角の伝統的な狛犬です。 横面に「越後高田」とあります。 |
九頭龍社 | |
御祭神は九頭龍大神で、戸隠は嘉祥二年(849)学門行者によって開山されたとされ、江戸時代までは九頭龍大権現といって信仰の中心でした。はじめは恐ろしい山の神でしたが、しだいに修験者に験力を与える神様、そして水の神様、農業の神様になりました。 拝殿の後ろから右上に回廊が続き、その先に本殿が半分入り込んだ洞窟があります。昔、九頭一尾の大龍(大蛇)が戸隠山を守護することを誓って洞窟に籠ったといいます。昭和12年(1937)再建。 |
奥社本殿 | |
戸隠神社の本社。御祭神は天の岩戸を引き開け投げ飛ばした手力雄命で、九頭龍様も天手力男命も洞窟の中に鎮座しているのが特徴で、修験者の行場である洞窟から戸隠信仰が発達したからだと思われます。度重なる雪崩で崩壊し、現在の本殿は昭和50年(1979)に建てられたコンクリート造りです。神仏習合時代、天手力男命の本地仏は聖観音とされていました。その時の聖観音は千曲市の長泉寺に移されました。 |