戸隠昔語り
戸隠が文献にはじめて刻まれたのは平安時代。
その頃、戸隠がどういう存在であったか、
そして時代とともにどのように変わって行ったかをご紹介します。
戸隠が文献にはじめて刻まれたのは平安時代。
その頃、戸隠がどういう存在であったか、
そして時代とともにどのように変わって行ったかをご紹介します。
「戸隠」の名が歴史的な文献に最初に登場するのは平安時代。平安中期の歌人で三十六歌仙のひとりとして知られる能因法師が11世紀の初め頃に著したとされる歌学書『能因歌枕』に、信濃国の歌枕のひとつとして出現します。「歌枕」すなわち和歌に詠み込まれる名所であったということは、当時、すでに戸隠が都の人々にも広く認知されていたということにほかなりません。
さらに300年ほどさかのぼる西暦800年代の中頃の話として、「学門」という名の行者が法華経の功徳によって、9つの頭と龍の尾を持つ鬼をこの地で岩戸に閉じこめたという言い伝えが、鎌倉中期に記された仏教書の中に残っています。実はこれこそ、日本神話の「天の岩戸」の物語に対向する、もうひとつの「戸隠」の起源です。
学門が実在の人物か否かは別として、平安初期には戸隠が山岳密教の霊山として注目されていたことは間違いなさそうです。
1200年もの昔、自然が厳しく農耕さえままならないこの地に人が集まってきたのは、ひとえに戸隠山への信仰ゆえだったのです。寺ができ、宿坊ができ、やがて集落となって、和歌にも詠まれる名所となった戸隠。戸隠山の幽玄な空気は、今も少しも変わるところがありません。